パラグアイと日本人移住
パラグアイと日本の関係を見る場合、日本人の移住が真っ先に思い浮かぶ。移住は日本の国策として実施され、戦前は拓殖組合、戦後は日本海外移住振興株式会社その継承機関である移住事業団、後に国際協力事業団と統合、現在は国際協力機構、が事業を実施した。パラグアイには1936年に最初の移住が行われ、太平洋戦争中に中断した者の1954年に再開された。ほとんどの移住者は戦後に移住した人たちで、日本経済が回復の兆しが見える東京オリンピック直前まで続いたがその後、激減した。
パラグアイへの日本人移住略史
パラグアイへの日本人移住地と居住者数
パラグアイの日本人移住地
赤い文字が移住地
出所:JICA
移住地と移住者数
移住地名 | 県名 | 適用 | 面積 | 戸 (戸) |
人数 (人) |
---|---|---|---|---|---|
ラ・コルメナ移住地 | パラグァリ | 戦前の移住地(1936年入植開始) | 3,500Ha | 79 | 310 |
チャべス移住地 | イタプア | パ国側移住地(1953年入植開始) | 5,500Ha | 31 | 189 |
アマンバイ移住地 | アマンバイ | 雇用農移住地(1956年入植開始) | 128 | 465 | |
ラ・パス移住地 | イタプア | JICA直営移住地(1956年開設) | 15,952Ha | 144 | 667 |
ピラポ移住地 | イタプア | JICA直営移住地(1960年開設) | 84,217Ha | 235 | 1,279 |
イグアス移住地 | アルト・パラナ | JICA直営移住地(1961年開設) | 87,762Ha | 186 | 832 |
ピラレタ移住地 | コルディリエラ | JICA直営移住地(1984年開設) | 533Ha | 4 | 15 |
エステ市及び近郊 | アルト・パラナ | 57 | 138 | ||
アスンシオン市及び近郊 | セントラル | 532 | 2,126 | ||
エンカルナシオン市及び近郊 | イタプア | 90 | 342 | ||
その他 | 20 | 116 | |||
合計 | 1,506 | 6,479 |
注1. ラ・コルメナ、チャべス、アマンバイについては、日本人所有面積
注2. 出所は日系団体報告書
出所:http://www.jica.go.jp/paraguay/activities/immigrant/02.html
訪れた移住地
イグアス移住地
ピラポ移住地
Pirapo
日本人移住地
Santísima Trinidad del Paraná Ruins
ラパス移住地の歴史 La Paz
ラパス移住地の歴史
http://rengoukai.org.py/ja/la-sociedad-nikkei/idonde-estamos/colonia-la-paz
日本人移住地
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